2007 年日本语能力测试 JLPT2 真题及答案(读解部分) 問題Ⅰ 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1?2?3?4から最も適当なものを一つ選びなさい。 学習や教育についての調査研究をしていると、「自分は何のために学ぶのか」についていろいろな考え方に出会う。数育心理学者もまた、さまざまな理論を出してきた。大きく分けると、「何らかの目的のための手段として人間は学ぶのだ」という「外発的」な考え方と、「人間は学ぶことそれ自体を楽しむ存在だ」という「内発的」な考え方である。 どちらの理論も、それなりに人間性のある面をついていて、もっともらしく思える。(①)、どちらかで押し通そうとすると、どこか無理があって息苦しい。そこで、学ぶということは、「なりたい自己」と「なれる自己」を広げることだと考えてみるとどうだろう。「なりたい自己」というのは、社会的役割、趣味、思想などを含めた「あのようにありたい」と思う生き方である、「なれる自己」というのは、今の自分の延長として可能な選択肢である。 私たちは学ぶことによって、それらの自己を広げて、その重なりあうところから何かを選んで「なっていく」。なぜ学校で学ぶのかといえば、日常生活だけでは、「なりたい自己」も「なれる自己」も狭いところで閉じられてしまうからである。学校の学習に限らず、自分が何か新しいことにトライしてみることによって、「それを楽しめる自分」を発見できたり、自分の将来の可能性を広げたりできる。 昨年、ある中学校で総合学習の発表を見た。地域でさまざまな生き方をしている人の様子を見学し、ポスターにまとめ、教室や廊下を使って報告しあうものだった。その中で、私がたまたま聞いたのは、子どものために絵本を作り、読み聞かせをしているボランティアの方に取材した女子中学生だった。 彼女の丁寧な発表から、いかに多くのことを学びとり、その方に尊敬の意を抱いているかが見て取れた。しかし、私が驚いたのは、「君もあの人のようになってみたいと思うの」と聞いたときの答えである。「いえ、まだ、すぐには決めません。一人の方に収材してみて、これだけいい経験ができたので、他の人からもいろいろ聞いてみたいからです」果てしなく広がっていく(③)を見た思いがした。 (市川仲一「自分の可能性を広げる糧に」「学びの時評」読売新聞2006年3月13日付朝刊による) (注1...